モノを捨てるミニマルライフか、モノを選ぶミニマルライフか
今年の7月に人事異動があり、所属部署も仕事も部屋も変わりました。
移動の1ヶ月前には引き継ぎをスタートし、1週間ぐらいでだいたい終えられたのですが、手こずったのが紙資料の分類と処分。
資料のデータファイルこそフォルダを階層化して整理していたものの、紙書類のほうの整理整頓はまるでダメ。
「いつか使うかもしれない」でとっておいた大量の資料が仕事机の両袖の引き出しいっぱいに詰まっていました。
必要なものとそうじゃないものに分け始めたのですが、ほどなく気づいたのが「必要な資料はデータファイルが必ず保管されている」ということ。
そう、「いつか使うかも」でとっておいた紙資料に「いつか」は訪れることはなかったのです。
気が抜けた反面、原本は別にあると分かれば処理は早いもの。
数年かけて計4つの引き出しを専有してきた紙資料のほとんどが、会社指定の機密資料処理ボックスへと消えていきました。
これを機に、「モノを持たない生活」の気楽さに目覚めた私は初めて「ミニマルライフ」「ミニマリスト」の存在に気づいたのです。
ミニマリストには2種類ある?捨てることに価値を見出すミニマリストと、選ぶことにこだわるミニマリスト
ちょっと前置きが長くなりました。
ミニマルライフに興味をもつなかで、多くのミニマリストのかたのブログや書籍を読むうちに、ミニマルライフへのアプローチの仕方には大きく2通りあることに気が付きました。
ひとつは、モノを多く所有する生活スタイルに嫌気が差し、所有物を処分するうちにモノを手放していくことの爽快感に目覚め、とにかくモノを減らしていくこと・持たないことにこだわりを持つミニマリスト。
極端な代表例は、漫画家で『じみへん』などの代表作を持つ中崎タツヤさん。
その中崎さんのエッセイ『もたない男』のなかでは、「ボールペンのインクが減ってくると減った分だけペン本体を削っていく」「本を読むと読み終わったページを破り捨てていく」などのエピソードが紹介されています。
ここまで極端なことをしているのはミニマリストでも異例かもしれませんが(中崎さんは捨てずにはいられない強迫観念だと自己分析されていました)、ミニマリストのかたのブログの8割くらいは「◯◯を捨てた・手放した」というテーマの記事に占められています。
そしてもうひとつのアプローチの仕方は、所有物を減らすこと・手放すことが目的ではなく、自分の生活スタイルを見直した結果として必要十分なくらいのモノを持つ、という考え方。
代表例は『必要十分生活』や『最小限主義』などの書籍で表されている世界観かと思います。
手段としては前者と同じくモノを減らす・手放すことも含まれますが、重視しているのはどういう考えで選び抜き・どんな価値観のなかで最小で十分なくらいのモノを使って生活を構成するかということ。
プロセスでは前者・後者に重なる部分もあるものの、同じ「ミニマリスト」で括るには大きな隔たりがあるように感じました。
前者がテレビなどでも取り上げられるようなミニマリストの主流であり、後者がそのなかから生まれてきた新しいミニマリスト像なのかもしれませんね。
まとめ
私はモノを捨てることの快感からミニマルライフに目覚めたので前者がスタートですが、じゃあどこまでモノを減らしたいのかと考えた時に「減らしたいのではなく選び抜きたい」ということに気づいたので、現在は後者的なアプローチの仕方になっています。
そういう意味では、「ミニマルライフ」という表現より「シンプルライフ」のニュアンスのほうが近いのかもしれません。
どちらが正しいとか優れているとかではないのですが、同じ「ミニマリスト」「ミニマルライフ」という言葉を使いながら、根底に流れている部分に大きな違いがあるのではないかと思い、私からの見た目をまとめてみました。
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